2025.09.18

【インタビュー前編】宮園輸入車販売の新社長・川村行治とはどんな人物か?

イベント・雑学

店舗紹介 イベント アンケート企画 カルチャー 雑学

2025年7月、宮園輸入車販売株式会社の新しい舵取り役として川村行治(ゆきはる)氏が就任しました。老舗企業の伝統を引き継ぎつつ、100年に一度とも言われる自動車業界の変革期にどう向き合うのか。その姿勢を知るために、まずは川村社長の「これまでの歩み」と「人となり」をお届けします。

 

──────────────────

憧れのクリエイティブ業界に入るも…配属は経理

──川村さん、代表取締役社長への就任おめでとうございます。

 

ちなみに川村さんは、宮園グループの宮園自動車株式会社の創業者である川村利治さんの孫にあたる人物。いわば家業のひとつを継いだかたちですが、関連企業に籍を置いたのは意外にもここ数年のお話だとか。それまではいったいどんなキャリアを積んでいたのか? 今回はそこを掘り下げたいと思います。

 

まずは学生時代から新社会人まではどのように過ごしてこられたんでしょうか?

 

川村:大学はラグビーや駅伝ではおなじみの大東文化大学の法学部に進みました。といっても、法曹を目指したわけじゃなく、“法律に詳しくなれたらいいかな”ぐらいの、軽い気持ちではありました。実際は体育会ヨット部に入部したので殆どの時間を神奈川県の葉山の合宿所で過ごしました。お陰で学校行事やキャンパスとはほぼ無縁でした。

 

1991年に卒業して新卒で入ったのが、南北社(現トヨタ・コニック・プロ)というトヨタ系の広告代理店です。当時バブル崩壊直後でしたが、まだまだマスメディアが華やかなり頃で私もクリエイティブ職に憧れて入社したんですが、最初の3年間は経理でした。

 

──それはしんどい。よく我慢できましたね。

 

川村:同期が広告の現場で活躍しているのを横目に、彼らが使った経費の仕訳や精算するのはやはり悔しかったですね。でも、ここで腐ってちゃダメだと自費でコピーライター養成講座に通ったりして。当時は若者らしく悩んでいた毎日でしたけど、いま思えば大事な経験で、経理経験によって得るものは大きかったですし、その後のビジネス実務に役立つことが多々ありました。

▲2025年7月付けで宮園輸入車販売株式会社の新代表取締役社長に就任した、川村行治(かわむらゆきはる)氏

広告業界の最前線に飛び込んだ30代、40代

──無駄な3年間ではなかったわけですね。その後は念願の広告部門へ?

 

川村:はい。マーケティングプロモーションの部署に移り、その後企画営業として名古屋へ転勤しました。当時販売店チャネルのトヨタ店を担当して販売施策キャンペーンなどをチームで手掛けました。当時はまだデジタル化の初期で、紙のカタログを電子化する取り組みも始まっていて、とても刺激的でした。忙しいながら、クライアントからも学ばさせていただくことも多く、ようやく”自分のやりたいことをやれている”と実感できた頃でもありました。

 

その後2000年にアサツーディ・ケイ(現ADKマーケティング・ソリューションズ)に営業で転職しました。担当は大手通信会社です。当時は業界全体が成長し、企業の買収や合併が繰り広げられ、携帯電話業界のテーマが通話品質からデータ通信に以降している時代でした。そのダイナミズムを最前線で感じながら働いていた頃です。

 

──そのとき印象に残ったお仕事はありますか?

 

川村:巨大クライアントは営業、スタッフも多数になるチーム戦で、ダイナミックな広告キャンペーンなど実務も面白くとても勉強になりましたが、やはり記憶に残る仕事でいうと伴走型の比較的予算が限られたクライアントが多いです。当時は某ゲーム制作会社や某フィットネスクラブ会社などに『限られた予算だけど、何とかしてくれ』と頼まれ、それを成功に導いたときの喜びは格別でした。本当に一緒に走って、クライアントから直接『ありがとう』と言ってもらえた。それがすごく嬉しく印象に残っています。

 

――大きな仕事と小さな仕事、どちらにも学びがあったと。

 

川村:はい。大企業はさまざまな要素もからんで、自身の立場や提案だけでは思い通りにいかないことが多い。でも小さなブランドは担当者と信頼関係を築いて、一緒に成功を作れる。それがご縁で今でも繋がっているお客様もいます。そのことが私の仕事観に少なからず反映されることになったと思っています。

 

──その後、40代で独立を決意されます。

 

川村:2010年にデジタルサイネージの会社を立ち上げました。インターネットが家や企業での利用から店舗や屋外など外に出ていく黎明期でした。そんな中、店舗内での新しいコミニュケーションの手法を成立させ、ビジネスをしたいと思ったからです。電子看板という広告媒体自体がまだまだ珍しい頃でしたので、コミュニケーションの企画からハードウェアの仕入れ、システム開発、導入・運用まですべてやりました。

 

仕入れやシステム開発は協力会社にお願いはしますが、企画開発、マネジメントは全部自社というか、起業当初は、ほぼ個人で背負わなければならず、さらに2011年に震災もあり、いま振り返ると少し早すぎた部分もあったかもしれませんが(笑)、社員・役員の仲間とともに10年間、楽しく必死にやりました。

▲4年ほど前に、宮園輸入車販売公式ブログを企画した人物でもあります

宮園グループに戻ったきっかけとは

──ちょうど10年ごとに大きな変化を経験されていますね。最初の10年は下積み、次の10年はビジネス実務としての収穫期、そして次の10年は経営者としての挑戦。その挑戦で一番つらかったのは?

 

川村:いい経験なのですが経営者ならではの『孤独』かもしれません。 よく言われますけど、本当にそうなんです。家族はもちろん、社員の生活や取引先からの信頼を感じて様々な経営判断をする。もちろんいい時も悪い時もありました。その豊かな経験があったからこそ、宮園に入る決心がついたような気がします。

 

──家業なので「戻る」が正しいのかもしれませんが、宮園に入られたきっかけは?

 

川村:うちは親戚同士で昔から仲がよくて、以前はしょっちゅう集まりがありました。みんなが成長し社会人になると忙しく少し疎遠にはなりました。しかし起業して10年、50歳のタイミングで『そろそろ来ないか』と声をかけられたのが直接的なきっかけです。

 

若い頃は全くそんな気はなかったんです。でも自分で小さいながらも会社を経営して『続けることの大変さ』を知った。宮園グループの社業が80年近く続いている中で、先達の経営者や社員先輩方の奮闘を想うと、見え方、意識がまったく変わりました。異業種でキャリアを積んでいましたが、何かしらバトンをつなぐ役目があるならと、その時しみじみ思ったんです。

▲撮影用にさまざまな角度でろくろを回していただきました。ちなみに好きなメルセデス・ベンツはCLEクーペとのこと

お客様に提供できた価値が、私たちの喜び

──続いてきたこと自体に価値がある、と。

 

川村:そう。創業者の利治さんも、80年前にきっと現代のベンチャー起業家と同じ気持ちで当時のモータリゼーションの波を感じ『よしやってやるぞ!』と誓い、仲間と会社を始めたのだろうと想像します。そのバトンを繋いでいくためなら、自分の経験を役立てたいと素直に思えるような年齢になったとも言えるかもしれません。

 

ちなみに、宮園グループの社是は『和』なんですけど、『和をもって尊しとなす』という意味ではないんです。孟子の言葉に『天の時、地の利、人の和』とあるように、ビジネスにはタイミングや環境も大事ですが、一番大事なのは人と人との協力、チームワークだよと。

 

昨今、人手不足で人材がなかなか集まらなかったり、育たなかったり、会社へのロイヤリティ自体も下がったりと大変なことだらけなんですが、やはり強い会社はチームワークがよいと思うんです。その意味でも『和』の大切さはベースとなると思います。

 

──その新しいチーム作りこそ、川村さんの腕の見せどころかもしれませんね。では、経営理念として大切にしたいことは?

 

川村:『お客様に提供できた価値が、私たちの喜びであり、力である』を経営理念としました。メルセデス・ベンツという商品自体の価値はとても高く、また素晴らしいブランドです。だからこそお客様への価値提供すべてのシーンで我々は高めていく取り組みを進めていきたいと考えます。

 

また、当社の価値(VALUE)を「人に最適なサービス」としていますが、それは、商品のみならずサービスも製品の一部として、とても大事に考えているからです。

 

その部分も踏まえ、お客様はオーナーとしての喜びはもちろんのこと、メンテナンスサービスはもちろんのこと、様々なシーン、プロセスにより価値提供ができたなら、我々は喜びを感じるし、結果として会社の力になると考えます。何故なら会社の売上は、評価いただいた『価値の総量』だと思うからです。だからこそ、どうすればお客様に価値を提供できるかどうかを常に考え、ご提供していきたいと思っています。

 

経理での下積み、広告営業での経験、そしてデジタルサイネージの起業。一見バラバラに見えるキャリアでしたが、すべてが川村さんの経営姿勢に繋がっているように感じました。挑戦する心と、受け継いでいくための責任感。その両方を胸に、新しいリーダーとして宮園輸入車販売を導く川村行治社長。後編では、川村社長が見据える「これからの宮園輸入車販売」について深く掘り下げます。

 

(熊山准)

熊山准(くまやま・じゅん)

中古車情報誌『カーセンサー』(リクルート)編集部を経て、ライターとして独立。クルマに限らずおもちゃ、家電、ガジェットなどモノ全般が大好物。現在はライフワークの夕焼けハントが嵩じて東京と沖縄で二拠点生活中。いま気になっているメルセデスはCLAシューティングブレーク。

関連記事
その他の記事